苦悩と喜びに満ちた音楽人生

クラリネット奏者 音楽監督 横川晴児

クラリネット 横川晴児

-クラリネットを始めたきっかけは何でしたか?

クラリネットを始めたのは高校生の頃です。元々は3,4歳の頃から高校に入るまでずっとバイオリンを続けていました。で、高校に入ると今度は音大受験だの、そのためには違う先生につかないといけないだのっていう話になって、それがすごく嫌になってしまったんです。

当時、実家がちょっと大きな家だったもので、下宿人を何人か受け入れていたんですね。しかも三味線をやっている人や絵描きさんや芸術学部の学生さんなど、芸術関係の人ばっかり。その中にクラリネットで音楽大学を受けるという人がいて、少し遊ばせてもらったりしたのをきっかけに、言ってしまえばバイオリンからクラリネットに逃げたわけです。

「ごめんなさい、この楽器で身を立てていきたい」と親に伝えたら、まあ反対されましたね。音楽なんかで食べていけるわけないと、しかも続けてきたバイオリンではなくクラリネットで。ただ、父もずっと絵描きを目指していたけど親に反対されて新聞記者になったという経験があった人で、何とか認めてもらえたんです。

-その後、高校卒業後すぐにフランスに渡ったんですよね。

そうです。フランスでは本当にゼロからの勉強でしたね。1日8時間から10時間は楽譜をさらう(練習する)毎日でした。朝から寝るまでほとんど楽器を吹いているみたいな生活を続けていました。その後、クラリネット界では日本人で初めてパリのコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)に入れたんです。運が良かったのもあると思います。周りはコンピューターみたいに演奏できる人ばかりで、その中で僕なんかは一番の落ちこぼれでしたからね。

-コンセルヴァトワールでの学校生活はいかがでしたか

ものすごく厳しい学校だったんですよ。レッスンが週に1~2回あって、大体1週間でエチュードを10曲とコンチェルトを1曲さらわないといけないんです。で、2回レッスンをサボると退学。本当に大変。学校に通う電車の中で楽譜を広げて手すりをクラリネットに見立ててさらったりしていましたね。すごくつらくて、辞めてしまおうかと思う時もありました。

さらに当時は戦後まだ20年くらいの頃。日本人に対する周りの態度も厳しかったですね。お店に入ろうとしても日本人だからって追い出されたりして。それもつらかったです。外国に一人で、他に行くところもなくて。家にこもってひたすらさらう日々でした。でもそのおかげでプルミエ・プリ(一等賞)を取って卒業することができました。

クラリネット 横川晴児

-卒業後、音楽家としての人生が本格的に始まったわけですね

音楽の世界の仕事って大きく5つにわけられるんですね。

①ソロができる ②室内楽ができる ③オーケストラができる ④教育・学校の先生 ⑤音楽祭などのプロデュース

当時の僕はフランスにいる外国人なわけで、卒業後、ちょこちょこ演奏の仕事をいただいたりはしましたが、それ以上の仕事をするのは難しく、このままではまずいと思って日本に帰国することにしたんです。

ただ、僕は日本の大学は出ていない身。つまり日本の音楽界に友達や先輩、先生がいないわけです。誰も僕を知らない。だから日本に帰ってすぐの頃は作曲家の先生に電話して、「フランスから帰ってきて、こんな人と現代曲を演奏して、こんな奏法もできます」なんて受話器越しにクラリネットを吹いて、何とか使っていただけないかと直談判したりもしていましたね。あの図々しさはもうないけれど、そのおかげで仕事をもらえていました。

また東京フィルハーモニー交響楽団(東フィル)のオーディションに受かって、そこでも演奏をさせてもらいました。東フィルで一番良かったのはオペラをたくさん経験できたことですね。当時の世界一流の音楽家たちが日本に来て、素晴らしい歌手といっぱい演奏できたのは僕の栄養になりました。

-その後、NHK交響楽団に移籍されていますが、何かきっかけがあったのですか?

クラリネット 横川晴児

東フィルは本当に素晴らしい仲間がいっぱいいたし、ずっとそこでやっていたかったけど、一方でもっと純粋にクラシックだけに専念したい、世界的な指揮者や演奏家と一緒に演奏したいという気持ちもありました。で、もう一段ステップアップしようとNHK交響楽団(N響)に移籍しました。

N響での初舞台はガチガチに緊張したのを覚えています。ずっと夢見てきた舞台だったから。緊張でぐちゃぐちゃになって、もう最悪でした。でも当時のコンサートマスターの方が「俺もずっとN響を夢見て、入った時はもう指の関節がぐらぐら揺れちゃってどうしようもなかった。本気で夢をもったやつだからそうなるんだよ」って周りの人をなだめてくれたんです。あの時助けてもらったことは今でも忘れられません。

苦労も多い演奏家人生だけど、コンセルヴァトワールの同期やオーケストラでできた仲間、国内外にたくさん友達もできてきて、それは大きな財産になっていますね。僕が「こういうことをやろう」と声をかければいつでも来てくれたり、逆に海外のコンクールの審査員や音楽祭に呼ばれたり。日本からこうして海外に発信する立場になれたことは、すごく自分の音楽人生を豊かにしてくれたと思います。

-現在も様々な形で活動されていますが、仕事をするうえで大切にしていることは何ですか

舞台に立つときで言うと、舞台での演奏ってお客さまに対して演奏していると思われるじゃないですか。でもゼロから音楽を作った作曲家、モーツァルトやベートーベンのような神様みたいな人達が僕の斜め上35度くらいのところにいて、「あなたはこう思ってこの作品を書かれたのですよね」「ここはこう伝えたくてこうしているのですよね」と、神様に向かって演奏している感覚です。お客さまはそんな神様と演奏者のやり取りを見ながら「そうだよね」と拍手を送ってくれたり、「違うでしょ」ってブーイングをされたりしている。そういう関係です。僕たちは舞台に立つときに燕尾服を着ますが、あれは作曲家に敬意を払って着るんです。神様のような作曲家への敬意は常に忘れずにいます。曲を書かれた作曲家が一番偉いですから。

あとは継続ですね。継続は力なりではないですけれど、続けることは一番大きい。たとえば1つのフレーズを100回練習したとしましょう。100回上手くいったから101回目も絶対大丈夫、というのが自信です。だけど同時に「100回も上手くいっちゃったら、101回目でミスしてしまうかもしれない」という怖さも常に持っているんです。この不安はどの仕事でも同じでしょうけれど、オリンピック選手だってあの緊張感の中だから、普段できていても本番で転んでしまうことだってある。だから転ぶ練習だってしています。

そんな不安に対しては結局継続することで不安を和らげるしかないんです。何回も何回も同じところを繰り返し練習して、毎日毎日吹くことで「吹かない」ことの不安を無くして。でも今までで良かったって演奏はないですけどね。過去のものを聴いたら失敗ばかりで「すみません、自分の頭の中にある理想の音楽を聴いてほしかったんです」って。「今日の自分の精一杯でございます」って頭を下げるんです。上手くいった、なんて一度もないし、これからもないでしょうね。いくらやってもやり尽くせないし、だからこそ面白いです。

-音楽監督としても活動されていますが、そこで心がけていることなどはありますか

気になってしょうがないことも全部任せることですね。「最終的に責任は僕が持つから、この部分は頼むね」って。気になることなんていっぱいあるけど、任せた以上文句を言わないっていうのは心掛けていますね。あとは汚れ仕事は僕がやるよっていうぐらいかな。音楽監督なんて全然偉くもなんともないから。

結局そういうのも全部は信頼関係なんですよね。大したお金にならないかもしれないけれど、やるなら付き合ってやるよと言って喜んできてくれる仲間がいる。で、僕が作ったきっかけによって、僕の知らないところで演奏家同士が仲良くなって新しい演奏会が生まれたり。そういうのも良いですよね。

みんなが自分のパートを大切に演奏して、それが一緒になって化学反応を起こしたときに「こんなこともできるね」っていう新しく生まれる部分を楽しみにやっていますね。それでもし何か失敗したら全部の責任は僕が取るから、というスタンスだけは揺らがないようにしておこうと思っています。

-幅広く活動して忙しい日々を過ごされていますが、どのように一日を過ごしていますか

「不規則正しい生活」って僕は言っています(笑)。オーケストラをやっているときは朝7時半に起きて、何時までリハーサルって決まっていたけど、今は不規則正しいですね。

何もない日なら、起きてご飯を食べて、2時間ぐらい楽器をさらいます。で、ちょっと休憩してまた3,4時間さらって。晩ご飯を食べたりお風呂に入ったりして、夜の9時10時くらいからまた朝4時くらいまでさらったりしています。

でも管楽器ってたまに休まないと体を痛めちゃうから、休んでいる間はスコア(全てのパートが書かれた楽譜)を読んだり音楽を聴いたりしています。それで朝の4時とか5時になってしまうんです。

もちろん用事があれば7時8時に起きることもあるし、しっかり眠らないとまずいときは練習をやめて寝ることもあるけど、眠くないのに寝るってつらいでしょ。急にわーっと楽器を弾きたくなる時もあるし。だから許される範囲で気持ちに正直に過ごしていますね。

クラリネット 横川晴児
一問一答

・休日の過ごし方は?

特に決まってないですね。コロナ前は年に1回くらいはヨーロッパに遊びに行っていましたけど、休むのが恐いんですよね。毎日楽器を吹かないと不安になっちゃって。でも本当は絶対休んだ方が良いんですよ。シチューみたいに煮込んで寝かせて味をしみこませるっていうのは体も同じ。一回だけ10日間吹かないことがあったんだけど、あれは本当に解放されますね。腕の筋肉が休まるし、湿布を貼らなくて良い生活。年に1週間くらい楽器から離れる時間を持たなきゃいけないとは思っているけど、ついつい恐くて吹いちゃいますね。

・今の仕事をしていなかったら何をしている?

絵描きか料理人かな。料理は大好きで今でも毎日作っているけれど奥深くて面白いね。でも毎日同じものを作る、例えばラーメン屋で毎日ラーメンしか作らないっていうのは僕にはできないかも。何か新しいことをやっちゃうからね。

・今欲しいもの/マイブームは?

今はバイオリンが楽しくなっています。50~60年ぶりに子どもの頃やっていたバイオリンを引き出して、1年間弾いていたら、絶対無理だと思うことができるようになったんです。今73歳だけど、この歳でもやればできるんだっていうのが力になってますね。バイオリンのおかげで、多分N響にいた頃よりも今の方がクラリネットが上手くなっていると思います。

あとは料理ですね。日本料理もフランス料理も中華料理も、なんでも作ります。美味しい料理をレストランで食べると、「あれはどうやって作ったのだろう」と自分で探って作るんです。それが上手くいくとすごく嬉しいです。

・子どもの頃の夢は?

子どもの頃の僕は本当にダメダメで、成績も悪くて。でも、音楽をやろうと決めた時には、とにかくヨーロッパに行って世界の一流演奏家になって、世界中旅行して回って・・・・・・みたいな生活を夢見ていました。夢はでっかい方が良いですよ。

・座右の銘は?

座右の銘はないかな。楽器以外のことにも当てはめられることで言えば、「ゆっくりやる」こと。

どんなパッセージもゆっくりやらなきゃ弾けるようにならないですよ。いきなり早くなんて絶対無理。ゆっくりやって美しくないものが早くやって美しくなることはないよね。とにかくゆっくり美しく、誰が聞いても美しいものを作って、それを少しずつ凝縮していかないと良い音楽なんか生まれないよね、という人生観を持っています。

人とのお付き合いもそうだけど、大事に大事に思っていないと長く付き合ったって絶対うまくいかないし、ゆっくり美しい関係を作っていかなきゃいけない。ちゃちゃっと早く作った友情なんて、すぐに壊れてしまいます。

クラリネット 横川晴児

プロフィール

東京都出身。
高校卒業後渡仏し、ルーアン音楽院、パリ国立高等音楽院をともにプルミエ・プリを取得し、卒業後、フランス国内で演奏活動を行う。帰国後は東京フィルハーモニー交響楽団首席奏者に就任。1986年にNHK交響楽団首席奏者に就任し、20年以上にわたり活躍。

2002年からは軽井沢国際音楽祭で音楽監督を務める。2010年2月にNHK交響楽団を定年退職後も精力的に音楽活動を行っている。

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